カネコアヤノ(2016)『さよーならあなた』


カネコアヤノ「さよーならあなた」

 

曲もいいんですけど、映像がよかったです!

 

matsumotosoushi.com

 

すぐに監督ことを調べました!

 

映像のどこがよかったかといいますと、

エグいというか、ドキッとするというか。

自分にはドキッとするツボの映像がとにかく連続で来ました!

スパイク・リー(2018)『ブラック・クランズマン』

スパイク・リー監督の作品ということで観てみたかったので、観ました。

 

ちゃんと(?)政治的・社会的な映画だと思いました。

 

しかし、自分がもし小学生や中学生だとしても、映像作品として

楽しめるのではないかなと思います。

愉快な警官たちが、悪い奴らをとっちめるわけです。

「ファンキー」とか「ドキドキ」とかそういう印象です。

 

でも年をとって、物事がもう少しわかってから観ると

また印象がぐっと変わるんじゃないかなと思いました。

登場人物一人一人は自分のことを「善良な市民」と思っていると思うんですよね。

登場人物一人一人は「世の中をよくしたい」と真面目に思っていると思うんですよね。

 

たぶん観る人の社会的立ち位置によって、印象が大きく異なるでしょうね。

ってこれはどんな芸術作品でも共通したことですね。

あ~いつも通り安っぽい感想になってしまいましたよ~。

入江悠(2009)『SR サイタマノラッパー』

宇多丸さんがすすめていたので、観たい観たいと思っていました。

宇多丸さんの映画の批評をよくチェックしているわけではないですが、

たまたま見つけて、観てみたいな~と思って早数年。。。

 

個人的には

「HIP HOPとは何か」というのと

「胸を張って「ここから」「今から」「自分が信じる方法で」やる!はかっこいい」

でした。

 

自分の好きなことを周囲の人に「だっさ~」「そんなくだらないことやめなよ」

「ばかばかしい」「このやり方にこだわらないほうがいいよ」「みんなこうしてるよ」

と評価された経験をしたことあるかどうかって

この映画の感じ方とリンクするんじゃないかな~と思います。

 

ぎゅ~っとなる映画でした個人的に。

川島雄三(1956)『洲崎パラダイス 赤信号』

先輩におすすめされて観ました。

 

映画の序盤は「情けない」「頼りない」男、に

注意が向く(自分と重ね合わせてトホホ。。。となる)わけですが、

話がすすむにつれて、波がありながらも変わっていくわけです、その男性がね。

 

一方で「頼りになる」と思っていた登場人物たちが

何かに寄りかかっていたり、グラついたりするところが見えてきます。

 

結局誰かが「立派になる」とか「大成する」とかそういうことはなく

「スッキリと気持ちよくハッピーに終わった」印象はないのですが、

1時間21分という時間の中にいろんな人のいろんな面がギュッと

詰まっているっていうのがなんとも言えない気持ちになってよかったです!

○○する○個の○○

こういう表現が今流行っておりますわね。

いや、ちょっと前から流行っておりましたわね。

その言い回しを使う人が増えてきたってことなのかしらね。

こういうテクニックは胡散臭いですわね。

形式を守って文章を書く、というのは大事じゃないかしらと

思いますけれども、ウケることを目的にしちゃうのは

もうその時点で面白くないんじゃないかしら。。。

あら、ワタクシ悪口しか言っていないわ。。。

子どもの問題行動と応用行動分析について

応用行動分析は、行動分析学を”生活”の中に取り入れて実践していくための

実践・研究であると認識しています。違うかもしれません。

違ったらごめんよ。

 

応用行動分析は、ABAという名称で知られており、

色々な場面で「人の行動の修正」に期待されたり、使われたりしています。

私は心の中で「アバ」と言っています。

でも人前で話すときはちゃんと「エービーエー」と言っています。

偉い。

 

最近は、発達障害自閉症を持つ人への”支援方法”として

「科学的な根拠のあるABAで○○を目指す」みたいなうたい文句で

支援を提供する人が増えてきているような気がします。

気がします。

 

私は個人的にABAはとても信頼できるものだと考えています。

しかし、それを一つの「セールスポイント・アピールポイント」として

保護者に訴える、ということについては否定的です。

 

まず、ABAそのものがどれほど素晴らしかったり、信頼できるものだったとしても

ABAを使って「目指すもの」がABAを提供される側、

例えば自閉症を持つ子どもにとって「正しい」とは全く限らないですよね。

ABAによって「先生のいうことをちゃんと聞ける子」

「先生がいうように我慢ができる子」になったとして、

それが本当に正しい支援・教育かどうかは別ですよね。

ABAを取り入れています、という事業所や支援者の一部に

「取り入れること」はやっているけど、「ABAを通じてどうしたいか」が

ちんぷんかんぷんなことがありますね。

ちんぷんかんぷんというのは、「それについては深く掘り下げて考えてませんよ」

っていう意味です。

 

私は子どもとかかわるなら、

「それは誰のためになるのか」とか

「その”行動”は”問題”として認識され”修正”される正当性はあるのか」とか

「社会は変わらなくていいの」とか

そういうことをちゃんと考えるべきだと思います。やっぱり。

 

ABAはツールや道具にはなりますけど、支援技法とは言い切れないですよね、

”支援”という要素自体はABAには入ってないと思いますのん。

支援という方向でABAは発展はしてきているとは思いますが、

ABA自体は「いいことにも悪いことにもどっちにも使える」ところはありますよん。

だから「ABA取り入れてます!」だけでは足りないと思うのん。

支援とは何かって考えることって一番大事なんじゃないですかね、

問題行動を修正するとか主張する前に考えたほうがいいと思っています。

 

あと、ABA自体がいくら科学的といっても

ABC分析をちゃんとできる人ってとても少ないと思うのですよね。

支援者の頭の中では、標的行動が支援者の好子・嫌子の出現・消失によって

強化・弱化されているイメージなんでしょうけど、実際にはきちんと

”狙って”標的行動にアプローチできている人はかなり少ないんじゃないかなと思います。

ベースライン計って~みたいに言いますけど、計るべきポイントを

どこに置くかって難しいと思います。

これはABAが悪いわけではなく、普通に難しいってことです。

 

でも、ABAってなんか仕組み自体はシンプルなんでなんかわかりやすいし

納得感はありますね。でも納得感だけあってもしょうがないですよね。

 

最後にABAには人間・子ども一人一人の個別性・特性みたいなことは

入ってないですよね。(発達等の)個別性・特性を無視しているからだからダメ、

ではなく、そういう視点を踏まえたうえでABAは取り入れられるべきだと

思います。発達段階、特性無視して「ABC分析で解決!」って何言っとるんだ、ってなりますワン。

当たり前の話でした~。

 

 

明日も頑張りましょう~!